R2年 小学生クラス説明会

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園長からのメッセージ

シリーズ8 2011年5月発信

東日本大震災に思うこと

 年度末も押し迫った3月11日の東日本大震災により多くの尊い命が奪われました。私達が現場で毎日接している乳幼児期の子ども達も数多くその犠牲の中に含まれています。
被災された方には心よりお見舞い申し上げます。被災された方々はもちろん、直接被害を受けなかった私達にもこの震災は大きな暗雲をもたらしています。
 あまりにも甚大な被害のために多くの行事、イベントが中止になったり自粛されたりしています。
しかし、こんな大変なときだからこそ、できる精いっぱいを頑張ることが望まれます。それを代弁してくれたのが、開催そのものが危ぶまれた春の選抜高校野球大会の開会式での創志学園高等学校の野山信介くんの選手宣誓でした。



宣誓
私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地では、全ての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。
私たちに、今、できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
「がんばろう!日本」。生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。

平成23年3月23日
創志学園高等学校野球部主将 野山慎介



彼らはこの宣誓通り精いっぱい元気を出して戦い、大きな勇気と希望を与えてくれました。私達も精いっぱい元気を出して今を生き抜いていくことが尊い命を犠牲にされた方々へのせめてものできることだと思います。


今だけでなく、先を見据えたビジョンの必要性

日本は重大な岐路に立っています。今の子ども達が大人になる20年、30年先を見据えた方向付けをしなければなりません。教育に関しては子どもが主体となった考え方がもっと浸透していかなければならないでしょう。モンテッソーリ教育がその役割を果たしてくれるはずです。他人の痛みを理解するということは正しくイメージできるということです。具体的に手を使う活動がモンテッソーリでは中心に据えられているからこそ、その現実の体験をもとにして最終的には正しく想像する力が付いていくのです。

乳幼児期における現実の体験の重要性

生まれたばかりの赤ちゃんは自分の体にどんなところがあるかさえわかっていません。お母さんの乳首に吸い付いて自分の唇を感じ、お母さんの顔を見ることによって目や鼻や耳があることがわかり始めます。子どもはこの世の中に存在する現実にあるものを知ることから生きることを始めているということです。
 モンテッソーリ教育現場では、視覚の発達が急激に成される誕生からの数ヶ月は赤ちゃんの寝ている所に、見える距離にモビール(上から吊るして見るもの)を用意します。
 そこに吊るされているものは鳥や人間の顔の絵や、色がグラデーションになった毛糸の玉のようなものです。実際にこの世の中にあるものが対象であり、非現実的なものや、大人が一方的に考える子どもらしいく可愛らしいだけのものではなりません。
 寝返りができるようになった赤ちゃんには、寝たままでも見えるように横長の鏡を寝る場所の近くの壁の下の方に付けてあげたりします。これは自分の体が鏡に映って、ボディーイメージを構築することを助けます。こうやって、自分の腕や足が自分の意志で動かすことができることを感じて「自分でいろいろなことができる」という有能感を0歳代の段階から積み重ねていきます。これが現実に根ざした正しい生き方であり、育ち方です。


抽象化、概念化はどのような道筋をたどるのか

子どもは「環境」を征服しながら成長を遂げて行きます。つまり、自分の身の周りにある様々なもの(おかあさんやおとうさんという人間も含めて)が何であるのかを知り、それらと信頼関係を構築しながら現実に根付く経験をします。現実の顔がわかっているからこそそれとは異なる鬼の顔や、モンスターの顔は恐ろしいし、自分の知っているものとは違うという判断ができるようになります。
 子どもに物の名前を伝える時にも同じ理論的背景が存在します。たとえば、「りんご」ということばを伝える時の出発点は実物です。実物のりんごを持った触感、におい、味を経験することが出発点です。この現実の体験(実体験)があることによって、りんごの絵や写真が提供された時に子どもは徐々に(1歳の終わり頃から2歳くらいになると)「この絵はりんごを表しているけれども本物のりんごではない」というりんごの概念化ができるようになっていきます。現実の体験が少なかったり、誤った方法で伝えられたりすると子どもは現実なのか、非現実なのかの境があいまいで判断力や理解力に問題をきたす場合があります。
 数的な活動に関しても同じです。具体的な量の経験が乏しいのに「1+1=2」や「6―2=4」を教えたとしても、子どもは吸収力がありますから音としては覚えるでしょうがそれがいったい何を意味するものなのかがわからなければ子どもの発達に大きな貢献をしているとは言えません。プリント類をたくさん与えて訓練し、単に答えを暗記させるようなやり方の危険性がここに存在します。


思いやりもイメージする力

 現実の体験があるからこそ子どもは正しくイメージすることができるようになります。このイメージできる段階が抽象の段階です。子どもの精神発達の経路は具体(現実)から半抽象の段階を経て、抽象の方向へと進みます。この筋道に沿った教育法がモンテッソーリ教育法です。だからこそモンテッソーリ教具はすべて子どもが手で触れて感じることのできる現実の具体物です。そこに「大きいー小さい」や、「太いー細い」、「暗いー明るい」といった抽象の要素を盛り込んで具体から抽象への橋渡しをします。モンテッソーリ教具が「具体化された抽象のシステム」と呼ばれる所以です。
 現実の経験が乏しい子どもは正しく物事をイメージできにくいので、ごくまれには悲惨な事故が起こります。ティンカーベルのように空を現実に飛ぶことができると思った女の子が自宅の3階の窓から飛び降りてなくなってしまったという事例があります。現実とファンタジーの境目があいまいになっていた例です。
 イメージとは最終的には正しい判断基準の基盤となるものです。正しい判断基準を持った上で、行動し、その行動に責任を持つ人間になるためには乳幼児期にはまずは現実の体験が優先されなければいけません。
 また、今回の大震災のニュースを目にするたびに、実際にわが身に起こったことではないけれどもその痛みが分かる、悲しみを共有できる子ども。そういう子どもは正しく育ってきた子どもですが、その子達に身に付いているものは思いやりであり、思いやりとはまさにこのイメージする力です。



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